今日は朝からスケジュールいっぱい。
そんな日でも、
朝食はいつもどおりです。
レタス。
鯖缶。
キュウリ。
トマト。
リンゴ。
アボカド。
ナッツとシードと干し葡萄のサラダ。
カフェオレ。
ゆで卵。
ときどき目玉焼き。
ハム少し。
・・・今日はなかった。
チーズ。
ヨーグルト。
そしてお薬。
毎日まいにち、
これよ!
ホテル並み!
朝食だけ見れば、
私ほど自分の身体を大切にしている人はいないんじゃないかと思う。
・・・朝食だけ見れば。
食べ終わったら、
午前中は習い事へ。
帰ってきたら、
午後2時から18時まで仕事。
・・・。
あまり働いていないじゃん!
とか突っ込まないでね(笑)。
働き方改革!
・・・急に主張。
18時。
仕事終了。
そこから帰宅して夕食です。
考えません。
水曜日は生協のお料理セット。
すばらしい。
材料はそろっている。
作り方も書いてある。
今日の私に必要なのは、
創造力ではありません。
指示書です。
書いてあるとおりに進めます。
できました。
食べました。
そして。
デザート。
さらに。
第二デザート。
・・・お薬。
甘くない。
全然うれしくない。
でも毎日出てくる。
コース料理なら、
最後の最後まで抜かりなし。
食後のお茶も飲んで。
ようやく。
止まりました。
その瞬間。
・・・あれ?
身体が。
ギシギシしてる。
肩。
腰。
首。
なんか全部。
これは。
もしかして。
いや。
あの言葉は言いたくない。
私には、
なるべく口にしない言葉があります。
でも。
今日ばかりは認めよう。
「あ、疲れてる。。。」
言ってしまった。
時計を見る。
午後7時。
・・・まだ7時だけど、、、
「もうお風呂入って寝よ。」
そこで。
ふと思ったのです。
私。
いつからこんなにギシギシしていたんだろう。
私の辞書にない言葉
実は私。
昔からあまり言わない言葉が二つあります。
一つは。
「暑い」
そしてもう一つが。
「疲れた」
なぜ言わないのか。
理由は単純です。
言った瞬間、
負けそうな気がするから。
暑いと言ったら、
それまで普通にしていたのに突然暑さが襲ってくる気がする。
もう一つの言葉も同じ。
口にした途端、
身体中から
「そうそう!それ!」
と一斉に返事が来そう。
・・・怖い。
だから言わない。
高校生くらいの頃から、
ほとんど言わなくなりました。
ある夏の日。
母に言われたことがあります。
「この暑いのに、涼しそうな顔して。。。しかも、そういえば暑いって言わないよね」
・・・バレてた。
別に涼しかったわけではありません。
暑かった。
たぶん。
いや。
絶対。
でも言わない。
言葉にしたら、
一気に暑さ側へ持っていかれそうだから。
私なりの抵抗です。
・・・何に?
そんなこんなで数十年。
暑さにも、
身体の重さにも、
なるべく平然とした顔で生きてきました。
我ながら。
なかなかの演技派です。
身体は、いつから言っていた?
でも今日。
座った瞬間に身体がギシギシしていた。
ということは。
座った瞬間に突然そうなったわけではない。
たぶん身体は、
もっと前から何か言っていた。
でも私は予定がある。
次がある。
時間を見る。
動く。
また次。
忙しいと、
自分の身体より予定表を見る回数のほうが多くなります。
振り返ってみれば、
肩を回していた。
ちょっと座りたかった。
歩く速度が落ちていた。
信号が赤になると、
ちょっとホッとした。
赤信号に喜び始めたら、身体からの連絡かもしれない。
・・・知らんけど。
でも身体って、
いきなり大声で
「限界です!」
と言う前に、
小さく何かを伝えているのかもしれません。
問題は。
身体が黙っていたのか。
私が聞いていなかったのか。
たぶん後者。
しかも私の場合。
聞こえていても、
言葉にしない。
・・・筋金入り。
私は、感じる前に暴走する
健社ダンプロで大切にしたいValue①。
「身体を感じて、考える」
この言葉。
今日の私に当てはめると、
ちょっと問題があります。
私は、
感じる前に暴走する。
身体にいいものは食べる。
薬も飲む。
健康には気を使う。
なのに。
肝心の
「今の身体はどう?」
が抜けている。
しかも。
感じたとしても、
私の辞書から二つほど単語が削除されている。
・・・不便。
ここでちょっと面白いことに気づきます。
身体を大切にすることと、身体を感じることは、同じではないのかもしれない。
身体にいいものを選ぶ。
健康を管理する。
それも大切。
でも時々。
今の自分に聞いてみる。
肩はどう?
腰はどう?
呼吸は?
ちょっと休みたい?
身体のご機嫌伺い。
これも必要なのかもしれません。
何も毎回、
名前をつけなくてもいい。
まず感じる。
それから考える。
私の場合。
そのくらいがちょうどよさそうです。
忙しいと、身体が見えなくなる
そしてこれは、
私だけの話でもなさそうです。
私たちの毎日には、
やることが多い。
仕事。
家事。
育児。
介護。
移動。
予定。
自分の身体は一つしかないのに、
用事だけは分身の術を使って増えていく。
・・・やめて。
だから身体の状態を、
その人の体力や自己管理だけの問題にしてしまうと、
見えなくなるものがあります。
ちゃんと休憩できる?
座れる場所はある?
休みたいと言える?
そもそも。
身体の声を聞く余白はある?
身体の声を聞くには、聞けるだけの余白もいる。
そう考えると、
身体を感じることは自分の中だけの話ではありません。
その身体が、
どんな毎日を生きているのか。
どんな環境で動いているのか。
そこまで見ていくと、
やっぱり身体と社会はつながっている。
私の身体がギシギシしたところから、
社会の話まで来てしまいました。
・・・壮大。
午後7時なのに。
そして今日、身体が教えてくれたこと
結局。
今日の身体が教えてくれたことは、
とてもシンプルでした。
今日はもう、
十分動いた。
そろそろ休もう。
それだけ。
でも。
それに気づけたなら、
今日はそれでいいのかもしれません。
身体の声を聞く。
必要なら休む。
これも立派な
「身体を感じて、考える」
です。
そして。
今日の私が身体を感じて、
考えた結果。
午後7時。
お風呂入って、
寝よ。
・・・。
ちょっと待って。
昨日の記事。
枕を変えて、
身体を感じて、
あれこれ考えて。
最後は。
・・・寝よ。
そして今日。
身体を感じて、
また考えて。
結論。
・・・寝よ。
また寝るんかい。
健社ダンプロ。
Value①。
身体を感じて、
考える。
私の辞書には、
ない言葉もあるけれど。
身体の声まで、
なかったことにはしないように。
今のところ。
感じて考えた結果、
睡眠時間だけは順調に増えております。
・・・健康的。
たぶん。



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